お題:なぜ美しい街が倉敷に
江戸中期から昭和初期にかけての建物が多数残っている
倉敷:物資が集まる場所という意味
地主が多い。
江戸時代から蔵が集まる
商人が新田開発で遠浅の海を埋め立て、新たな土地を得た
代官所:江戸幕府の役人がいるところ。
天領だった:大名がいない、商売が自由にできる特権がある。大名がいないため、町を統制するのに町人の力を
借りる必要があり、商売が自由にできた。
新田開発のため、塩分を取り込む性質のある綿花を植えたことで、紡績工場が発達した
イギリス式の紡績工場とした。しかし、屋根の角度がイギリス式だったため、夏場に直射日光が入り温度が高く
なりすぎた。そこで、蔦を壁面に植えることで温度を下げた
大原美術館:日本発の西洋美術館。西洋式の建築を取り入れた。資産家大原孫三郎氏によって立てられる。孫の慎一郎によって、町並みを残すための城郭を模した外壁が作られる。
昭和43年、町並み保存の条例をつくり、街並みを残す努力を続けている